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“民主主義が破綻するとき──歴史の警告”トム・ハートマン
“アリ・イスマイル・イーデン、この汚い犯罪的戦争のシンボル”マリネッラ・コッレッジア
“バグダッド略奪は米軍が引き起こした”オリー・ローゼンボーグ
“アメリカという難題”星川 淳
















「民主主義が破綻するとき──歴史の警告」
トム・ハートマン

 アメリカではその70周年を知る人は少なく、マスメディアでもこれといった報道はなかった。しかし、ドイツ人は70年前の運命の日、つまり1933年2月27日のことをよくおぼえていて、全世界の市民がイラク攻撃反対の大きなうねりをつくった平和デモへの参加でその日を祝った。

 発端は、世界的な経済危機のさなか、政府が差し迫ったテロ攻撃についての報告を受け取ったことだった。ある外国の過激思想信奉者が、それまでにいくつか有名な建物への攻撃を試みてはいたが、メディアは泡沫事件と見てほとんど取り上げなかった。だが諜報機関は、その男がいつか大事件を引き起こすかもしれないと警戒していた。(歴史学者のあいだにはいまなお、諜報機関内部の謀反分子がテロリストに手を貸したのではないかという議論があるが、最近の研究はそれを否定している。)

 ところが、捜査官たちの警告は最上層部によって無視された。ひとつの理由は、政府が別なことに気をとられていたからだ。国のリーダーを自認する男が、選挙で過半数を獲得できず、国民の大半は彼が権力の座につくことを認めようとしなかった。一部の人にいわせると、その男は間が抜けていて、ものごとをシロかクロかで考えるマンガ的な人物であり、複雑かつ国際主義的な世界で一国を取り仕切る機微が理解できる頭の持ち主ではなかった。南部出身地の政治風土からくる粗野な物言いと、短絡的でおうおうにして挑発的な国家主義的言辞は、上流階級の人びとや外国の指導者たち、そして政府およびメディア内の教養あるエリートたちのひんしゅくを買った。しかも彼は若いころ、オカルト的な名称をもつ秘密結社に加わり、人間の頭骸骨と肢骨を使う怪しげな入門儀式を受けていた[1]。

 しかし、男はテロリストの攻撃があることを知っており(正確な時間と場所は知らなかったが)、その場合にどう行動するかをあらかじめ決めていた。国を代表する建物が炎上していることを側近から知らされたとき、彼は攻撃がテロリストによるものであると断言し、現場へ急行して記者会見を開いた。

「諸君はいま、偉大な歴史的瞬間をまのあたりにしている」男は焼け焦げた建物の前で、国中のメディアに囲まれて宣言した。その声は高まる感情に打ち震えていた。「この炎ははじまりにすぎない。まさしく神の合図である」彼は好機に乗じ、テロリズムとその思想的支援者たちとの全面戦争を布告したのだ。彼によれば、そうした支援者たちは中東系で、宗教的信条から邪悪な行為におよぶのだという。

 2週間後、悪名高いテロリストとの共謀容疑をかけられた人びとの第一陣を収容するため、オラニエンベルクに最初のテロリスト監禁施設が建設された[2]。愛国主義がたちまち国中に燃え広がって、かの指導者の旗がいたるところに翻り、窓に張り出せるよう新聞にまで大刷りされた。

 テロ攻撃から4週間もたたないうちに、一躍人気上昇した指導者は、憲法で保障された言論の自由、プライバシー、人身保護義務を一時停止する立法措置を強行した。テロと戦い、テロの温床となる哲学を打ち破るというのが立法の名目であった。それにより、警察が郵便物を検閲し、電話を盗聴すること、テロ容疑者を訴状も弁護士の接見もなしに投獄することが可能になった。テロの疑いがあれば、警察は捜査令状なしに人びとの家に忍び込むことが許された。

 愛国主義的な響きの「民族と国家の防衛のための大統領令」に対し、法律家や市民的自由を重んずる人びとから上がった異議申し立ての声を封ずるため、彼は4年間の時限条項を書き込むことに同意した。つまり、テロリストによって引き起こされた国家危機が4年以内に解消した場合、国民の自由と権利は回復し、警察組織の権限もふたたび制約されるという条件である。のちに国会議員たちは、議決の投票前に法案を熟読する暇がなかったと述べた[3]。

 反テロ法が成立するやいなや、彼の国家警察は不審な人間を逮捕し、弁護士の接見も裁判もさせないまま身柄を拘束する一大作戦に乗り出した。最初の1年だけで数百人が葬られ、それに異議を申し立てる人びとの声は主流メディアによって封じられた。メディアは、あまりにも大衆的人気の高い指導者の機嫌を損ね、近寄らせてもらえなくなることを怖れたのだ。おおやけの場で指導者に反旗を翻す市民の数は少なくなかったが、新たに権限を強化された警察の警棒や催涙ガスや牢獄の威力をたちまち思い知らされたり、指導者の演説から遠く引き離され、声を上げても聞こえない抗議エリアに囲い込まれたりすることになった。(そのかん、彼はほとんど毎日のように、公衆の面前で話をする特訓を受け、声音や身ぶりや表情の操作を学んで、みごとな雄弁家へと変身していった。)

 テロ攻撃から1か月のうちに、一人の政治顧問からの助言を受けて、彼はそれまで曖昧な意味しかもたなかったある言葉を多用することにした。国民のあいだに「人種的プライド」を煽るべく、国名を呼ぶかわりに「本土」(The Homeland)と呼びはじめたのだ。レニ・リーフェンシュタール監督による宣伝映画『意志の勝利』に記録された1934年の演説で導入部分に使われて以来、この言葉はおおやけに流布するようになった。狙いどおり、人びとの心はプライドで膨れ上がり、“われわれとやつら”という敵対感情の種が蒔かれた。人びとは自国こそが“本土”で、他の国々はただの外国だと思い込まされた。指導者は、われわれこそが“真の民”であり、国益の対象に含まれる価値があると示唆した。たとえ他人種に爆弾の雨が降り注ごうが、他国で人権が侵害されようが、それでわれわれの生活が向上するなら、さして気にかけるまでもない、と。

 こうした新しいナショナリズムに乗じ、また彼がますます軍国主義を強めることに対するフランスの不満を逆手に取って、指導者は「わが国の国益を優先しない国際機関など無意味で無用」だと主張した。そうして1933年に国際連盟から脱退し、世界規模の軍事覇権を確立するためにイギリスのアンソニー・イーデンと二国間海軍軍備協定を結ぶ。

 彼の宣伝大臣は一大キャンペーンを仕掛けて、指導者が深い宗教性をもった人間で、その動機はキリスト教に根ざしていると、国民に信じ込ませた。彼は国中にキリスト教を復活させる必要を説き、それを「新しいキリスト教」(NewChristianity)と呼んだ。彼の躍進する軍隊では、すべての兵士が「Gott MitUns」、つまり「神はわれらとともに」と宣言したベルトの留め金をつけ、大多数がそれを熱烈に信じていた。

 テロ攻撃から1年たたないあいだに、かの指導者は国中の地方警察と国家公安機関が、テロの脅威に対処する明確な意思疎通と、総合的かつ統一的な運用を欠いていると判断した。とりわけ、テロリズムや共産主義に傾きやすい中東系住民と、厄介な知識人および自由主義者が対策課題だった。そこで彼は、本土安全保障を管轄する単一の国家機関新設を提案した。それまでばらばらだった1ダースばかりの警察・国境警備・捜査機関などを、一人のリーダーに統括させるというのである。

 彼は一番の腹心を新しい組織のトップに据え、本土防衛のための中央安全保障局と呼ばれるこの組織は、政府の中で他の主要省庁に匹敵する役割を与えられた。

 彼の広報官は、テロ攻撃以来「ラジオと新聞・雑誌は政府の意のまま」と述べた。中央安全保障局が不審な隣人の密告を大々的に奨励しはじめたため、指導者の正当性に非を唱えたり、その数奇な経歴に疑問を差しはさんだりする声は、国民の記憶から抹殺されることになった。この計画は大成功をおさめ、やがて一部の“裏切者”の名前がラジオで読み上げられるほどになった。糾弾された“裏切者”の多くは、指導者に公然と異を唱えた政敵や著名人で、いまや彼の脅迫と財界同調者の経営支配に縛られて大政翼賛化したメディアは、それらの人びとを格好の餌食にした。

 権力強化には政府内だけでは不十分と判断した彼は、産業界に手をのばして連携を図り、最大手企業の元幹部らを政府の重要ポストにつけた。こうして、本土で暗躍する中東系のテロリストと戦うと同時に、国外での戦争に備えるべく、多額の政府支出が企業に流れることになった。彼は自分に近い大企業に、全国のメディアや工業関連会社を買収するよう奨励した。とくに、不審な中東系住民の所有する事業が狙われた。産業界との結びつきは強力で、ある系列企業は国家の敵を収容するための大規模な監禁施設建設を巨額で請け負った。やがてその数はもっと増え、産業界を潤していく。

 しかし、テロ攻撃のあとしばらく平和な時期が続くと、政府の内外でふたたび異議申し立ての声が高まった。学生による活発な反対運動が起こり(のちに「白バラ会」と呼ばれる)、周辺諸国の指導者たちは彼の好戦的言辞への嫌悪感を表明するようになった。彼には何らかの囮(おとり)が必要だった。政府内で暴露される縁故がらみの企業腐敗や、彼自身の権力基盤をめぐる不正疑惑、さらには自由主義者たちが盛んに追及した、適法手続きも弁護士や家族との接見もなく拘禁される人びとへの憂慮から、国民の目をそらす材料である。

 メディア操作を得意とする右腕とともに、彼は国民に小規模で限定的な戦争が必要だと納得させるキャンペーンに乗り出した。ちょうど隣国の一つには、不審な中東系住民が大勢住んでいた。彼の国のもっとも重要な建物に火をつけたとされるテロリストとのつながりは、ごく曖昧なものだったが、国の存立と繁栄になくてはならない資源を擁していた。彼は記者会見を開くと、その隣国の指導者に対して最後通告を突きつけ、国際社会に大きな波紋を起こした。自衛のために先制攻撃の権利をもつと主張する彼に、当初ヨーロッパ諸国は非難を浴びせた。過去においてそんな強硬論は、シーザーのローマやアレキサンダーのギリシアのごとき世界帝国をめざす国々だけが主張したものだ、と。

 数か月間、ヨーロッパ諸国との激しい議論と裏取引が続いたすえ、最後に彼がイギリスの指導者と個人的に交渉して、ある約束を取りつけた。軍事行動がはじまったあと、英国のネヴィル・チェンバレン首相はイギリス国民に向かって、かの指導者の新しい先制攻撃ドクトリンを認めれば、「われらに平和の時代」が訪れるだろうと語った。こうしてヒットラーは、戦時指導者がしばしば謳歌する圧倒的な国民の支持のもと、オーストリアを併合した。オーストリア政府は転覆され、親独の新しい指導者にすげ替えられて、ドイツ企業がオーストリアの資源を支配しはじめたのである。

 侵略を非難する人びとに対し、ヒットラーは演説でこう答えた。
「一部の外国紙は、われわれがオーストリアを強奪したという。私にいわせれば、記者連中は死んでも治らぬ大ウソつきだ。私は政治闘争を通じて国民の大きな愛情を勝ち得たが、国境を越えてオーストリアへ入るや、かつて味わったこともないほどの愛が注がれるのを感じた。われわれは圧制者としてではなく、解放者として赴(おもむ)いたのだ」。

 彼の政策に異議を唱える人びとに対処すべく、政治的手腕に長けた顧問たちの助言を受けて、彼と配下の報道関係者は、彼と彼の政策を愛国主義および国家そのものと一体化させるようなキャンペーンに乗り出した。テロリストやテロ支援者たちに、国を分裂させたり、国家意志をくじいたりできると思わせないためには、国としての統一が不可欠だというのが彼らの持論だった。戦時にあっては「一つの民族、一つの国家、一人の総統」しかありえないという理由で、彼らは国策の批判者を国家そのものに攻撃をしかける人間だと糾弾する、国ぐるみの一大報道キャンペーンを張ったのである。彼に異議を唱える人間は「反ドイツ的」ないし「良きドイツ人ではない」とのレッテルを貼られ、国家の英雄たる兵士たちを支持する愛国心がないために、国家の敵を利する者だと白い目を向けられた。それは反対意見を封じ、賃金労働者(兵士の大半はこの階層の出身)と、彼の政策に批判的な“知識人や自由主義者”とを反目させる、彼一流の効果的手法であった。

 にもかかわらず、オーストリアを併合する“小さな戦争”が手際のいい成功に終わり、平和が回復すると、「本土」にふたたび異議申し立ての声が上がった。ほとんど毎日のように、共産主義テロリスト細胞の危険をニュースで流しても、国民を扇動し、反対意見を完全に封じ込めるには十分ではなかった。抵抗者の失踪、自由主義者やユダヤ人や組合指導者への暴力、産業界において帝国の富を産出しつつも、中産階級の生活を脅かす慢性的な縁故資本主義の弊害などが原因で高まる国内の不満から国民の目をそらすには、全面戦争が必要だった。

 それからきっかり1年後、ヒットラーはチェコスロバキアに侵攻する。彼の国はいまや全面戦争に突入し、国家安全保障の名のもと、国内の反対意見はすっかり封じられた。民主主義をめざすドイツ初の実験はそこで終焉を迎えたのだ。

 歴史の回顧を結ぶにあたり、私たちが記憶にとどめるべきポイントがいくつかある。

 2003年2月27日は、オランダ人テロリスト、マリヌス・ヴァン・デア・ルッベによる帝国国会議事堂(ライヒスターク)の爆弾放火70周年であった。そのテロ行為が、ヒットラーを一気に正当な国家指導者へとのし上げ、ドイツ(ワイマール)憲法の改廃をもたらした。ドイツ人の血をほとんど一滴も流さず素早くオーストリア併合を達成するころには、彼はドイツ史上もっとも人気の高い大衆指導者となっていた。その年、世界的な賞賛を浴びた彼は、タイム誌の「マン・オブ・ザ・イヤー」に輝く。

 おおかたのアメリカ人にとって、彼が本土安全保障のために設置した機関は、その名称 Reichssicherheitshauptamt(帝国防衛省)と Schutzstaffel(親衛隊)から、悪名高い後者の頭文字「SS」だけで頭に刻まれている。

 もうひとつ私たちの記憶にあるのは、ドイツ人が「雷撃戦」(Blitskrieg)と呼ばれる激烈な戦闘形式を編み出したことだ。それは一般市民に凄まじい犠牲をもたらすいっぽうで、国家指導層にとってはきわめて満足度の高い「衝撃と畏怖」の効果を生み出した。アメリカ防衛大学出版局が1996年に刊行した『衝撃と畏怖』の執筆陣は、そう記している[4]。

 当時を振り返り、アメリカン・ヘリテージ・ディクショナリー(1983年版)は、ヒットラーがドイツ最大級の企業群と提携し、戦争を権力維持に利用することによって、ドイツ民主主義が変質した結果生まれた政府の形態を次のように定義している。「ファシズム:(名詞)極右独裁の統治システム。国家と企業上層部の癒着に、好戦的ナショナリズムが結びついて生まれるのが典型」

 経済的・政治的危機に直面するいま、私たちは世界大恐慌の被害がドイツにもアメリカにも等しく襲いかかったことを忘れてはなるまい。けれども、1930年代を通じてヒットラーとルーズベルトは、それぞれの国力と繁栄を回復させるために、まったく異なる道を選んだ。

 ドイツの選択は、政府が企業に肩入れし、社会の最富裕層に恩恵を与え、公共部門の大半を民営化し、反対意見を封じ、憲法で保障された諸権利を人びとから奪い、戦争の継続と拡大によって繁栄の幻想を生み出すことだった。アメリカは最低賃金法を可決して中産階級を力づけ、企業の権限を抑えるために独占禁止法を実施し、企業と最富裕層への増税を行ない、社会保障制度を創設し、国家社会基盤建設と芸術振興と森林再生の計画を通じて最終雇用を確保した。

 合州国憲法がまだ健在である限りにおいて、今回の選択も私たちしだいだろう。

訳注
[1] ヒットラーは若いころからオカルティズムに興味をもち、さまざまな秘教組織にかかわったとされる。その中にはいわゆる悪魔崇拝の結社もあった。ただし、「頭蓋骨と肢骨」の儀式を行なったのがどんなグループだったか訳者には不詳。いっぽうブッシュ大統領は、エール大学在学中に文字どおり「Skull & Bones」と呼ばれる学生秘密結社に入団した。19世紀に遡るこの秘密結社は、父ブッシュ大統領も含む会員を通じ、米国社会上層部に大きな影響力をおよぼしてきた。やはりこの結社に属していたブッシュ現大統領の祖父プレスコットは、ナチスに軍需物資を流す事業で財をなしたといわれる。

[2] 最初に建設された強制収容所のひとつ。

[3] 9・11直後にアメリカ連邦議会で成立し、同種の内容で各種の基本的人権を制限する「愛国者法」(USA Patriot Act)についても、政府からの法案提出がぎりぎりまで引き延ばされたために、国会議員から同様の不満が出た。

[4] ハイテク兵器を駆使したイラク攻撃緒戦の計画は、この著作にもとづいている。

トム・ハートマン Thom Hartmann
1980年代のドイツで暮らし、働いた経験をもつアメリカ人。
著書にUnequalProtection、The Last Hours of Ancient Sunlight ほか多数。本稿の著作権は筆者に属するが、このクレジットを添えれば紙媒体・電子メール・ウェブサイトなどへの転送・転載は自由。

When Democracy Failed: The Warnings of History
by Thom Hartmann
http://www.commondreams.org/views03/0316-08.htm

(翻訳:星川 淳/TUP)

アリ・イスマイル・イーデン、この汚い犯罪的戦争のシンボル
マリネッラ・コッレッジア・在バグダッド
パトリス・ジョーンズ・Pattrice Jones (pattrice@bravebirds.org) から転送、マリネッラへの手紙はパトリスへ

 アリ・イスマイル・イーデンは、イラク民衆に対するこの汚い戦争のシンボルです。あらゆる国際法に違反する戦争。

 私は今2003年4月4日午前11時にバグダッドからこれを書き送っています。私はチグリス川の近くの小さなホテルにイラク平和チーム(Iraq Peace Team)と一緒に居ります。外では私にはわかりませんがミサイル(飛来するアメリカの爆弾?)か砲撃か、何れにしろその音は昨夜のものとは違います。アメリカ軍がとても近くに居ます。

 昨日から明かりがつかなくなっています。アメリカ軍が配電施設を爆撃したからです。でも、発電機からの明かりが消える前に、私が今朝会ったアリ・イスマイルの事を皆さんに話させて下さい。願わくは、この話がジャーナリストたちのどれかの衛星通信で、そして私がこれを送っているパトリスを介して広く伝わっていく事を。

 どうかアリという名前を広く伝えて下さい。

 アリはバグダッドのアル・キンディ病院のベッドに横たわって居ます。ブッシュのミサイルが一発、民家2軒に命中し、火焔がアリの家族(母、父、兄弟全て、それに親類)12人を生きながらに焼いたのです。アリのお母さんの一人の姉妹がその場に居合わせなかったので助かっており、今アリに常時付き添っています。アリの意識は確りしています。両腕は今や無く、腹部は黒く焼け焦げています。

 アリの姿を見れば、あなたはその姿を一生涯頭から消す事はできないでしょう。アリは12才です。目が大きくとても可愛らしい。それがアリに残された姿と甚だしい対照を成しています。アリの首から下は惨憺たるありさまです。もし生き長らえてもアリは一生それと付き合っていかなければならないでしょう。

 わかりますか。アリの両腕は炎の中の樹の2本の枝のように焼かれました。それで肩のごく近いところで切断されたのです。アリのお腹の部分は真っ黒焦げに焼かれています。もちろんシーツを身体に触れさせてはいけないので、木で作った橋のようなものをシーツの下に入れ、シーツをアリの身体から離すようにしています。毎日お医者さん方が焼けた皮膚の一部を除去し、脚から取った皮膚と取り替えています。しかしこの治療は、細菌感染の危険が高いのです。

 お医者さんたちは、私がアリを見舞ってもアリの迷惑になることは無いけれども、アリの姿を見たら私の気持ちがかき乱されるのではないか、とおっしゃたので、私はともかくアリに会いに入っていくことを選びました(それで、本当のところ、アリの姿に今常に心みだされています)。私は考えました。「私はアリを正視したい。私はアリに幾らかでも愛と元気をあげることができるだろうか?」私はそうできたとは思いません。で、会った結果、今の私の使命はアリの象徴的実例をイラクの外へ広く広く広く知らせることだと思いました。イラクに来ているアメリカ兵にアリの実例を知らせることが誰かできないものでしょうか。

 私がサラーム・アレイクム(Salaam aleicum, 「平安があなたと共にありますように」との意の挨拶言葉)とアリに語りかけると、アリは穏やかに返事をしました。私はただアリを見つめました。アリが何度も無くなってしまった両腕を見やるので私は、戦争が終ったらイタリアから新しい腕、人工の腕でとても具合が良いものが来るからね、とアリに言って下さいとお医者さんに頼みました。何かの役に立ったのかどうか私はわかりませんが、アリのおばさんはインシャラー(Inshallah「アラーの思し召しのままに」の意)と言いました。ここの多くの医師同様とても素晴らしい--皆さんとても献身的であり、ブッシュの意図にとても驚いている--お医者のムフタズさんが通訳して下さり、またアリにイタリアのことを話して大変親切にアリの注意を逸らすようにしてくれました。長靴のような形をしているとか話すと、アリは、そう、イタリアのこと知っているよ、と言いました。しかし、私には子どもに人工の腕のことを話すなんてとても馬鹿げていることがわかりました。話してアリにどんな風に役に立つ? アリの置かれた状況を少しでも良くするには何をアリに話したら良いの?

 アリはずうっとお母さん、お父さん、そして家族のことを聞いていました。お医者さんたちは、みんな脚を折って別の病院に入っているので今すぐには来られないんだよとアリに話しています。医師のムフタズさんは、アリは大変けな気で、自分の苦痛についてあまりぐずぐず言わないで、何時も残った両腕の動く部分や黒くなった腹を見つめている、と言います。

 すくなくともお医者さん達には今のところ鎮痛剤は充分あるのですが、モルヒネのような強い鎮痛剤はまだ与えていません。将来痛みがもっと強まってきた時に使わなければならないかも知れないからです。ですが私が聞いたところでは他の市の病院では怪我人が多いために医薬品不足が既に生じています。そんな病院ではアリのような子どもたちがどんな眼に会うのか想像して下さい。

 私たちが病院の廊下を歩いて行くと、ジハド・サイド・オベイドという男の人に会いました。その人はバグダッドから約180キロ離れたアル・スエラという所から来たのでした。その人はそこの病院に親戚のものが一人入院していたのですが、その病院に3月30日に、近くの通信センターを破壊するために発射されたミサイルの破片が沢山当たりました。その人は一人がそのために亡くなったことを知っています。通信センター(軍事目標ではない)を爆撃することと、近くの病院に当たる可能性があるのに通信センターを爆撃することは、共にジュネーブ協定に違犯することです。沢山の戦争犯罪のもう一つがここにあります。

 これらのこと全てが一般市民の保護のためのジュネーブ協定に違反します。私たちがアリの病室を出た丁度その時、病院の庭ので、黒ずくめのドレスを着けた老婦人が泣き叫んでいるのが見えました。私たちに付き添っているイラク人のテリブが何事で起こったのか聞きました。その婦人が泣き叫んでいたのは、数時間前にミサイルが一発ムスタンリヤ大学の近くに落下し、娘さんが殺されたためでした。その娘さんは花嫁だったのです。

マリネッラ・コッレッジア
イタリア平和活動家
イラク平和プラン
バグダッド、2003年4月4日

全地球の南に注目を(Focus on the Global South (FOCUS))
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(翻訳 寺尾光身)
バグダッド略奪は米軍が引き起こした
オリー・ローゼンボーグ

4月11日、ダゲン・ニエター紙(スウェーデン)

 カリード・バヨミは、アメリカ軍指揮官が、「我々にはバグダッドの略奪を阻止 する手だてがなくて困っている」とテレビで不平をもらすのを見てびっくりした。

「私は、米軍部隊がイラク人たちに略奪に走るよう仕向けている現場に、たまたま居合わせたのです」

カリード・バヨミは「人間の盾」になるため、ヨーロッパからバグダッドに向かい、現地に到着したその日に戦争が始まった。彼は戦争体験だけでも多くの証言ができるが、最も興味深いのは、略奪勃発現場での目撃体験についてだろう。

「私は、チグリス川西岸ハイファ大通りのちょっと向こうの貧民街近くにある友人に会いに行っていました。それは4月8日のことで、戦闘があまりにも激しくなり、川向こうに戻れなくなりました。

午後になると戦闘が止んでまったく静かになり、そこへ4台のアメリカ軍戦車が貧民街の境に移動しました。米兵はハイファ大通りの向こう側にある自治体行政府ビルの門前に立っていたスーダン人警備員二人を撃ち殺し、行政府ビルの扉を粉々に破壊しました。その後、戦車の中から貧民街に隠れている人々に向かって、アラビア語で、近くまで来るように熱心に誘う声が聞こえてきたのです。

午前中いっぱいは、大通りを横切ろうとする者は誰でもみな撃ち殺されていたのに、米軍の通訳は、今度は近くに寄るように誘うのです。銃撃戦も終わり、何とも言いようのない静けさがしばらく続きましたが、家々に隠れている人々はその誘いに、徐々に好奇心を持ち始めたのでしょう。

45分後には、最初のバグダッド市民が思いきって家から出てきました。すると、戦車に乗っているアラビア語通訳は、近くに寄ってきた市民たちに、行政府ビルの中に入っていって、何でも好きな物を手当たり次第に持ち出してもいいぞと奨励したのです。

この指図はあっというまに広まり、ビルの中のすべての物が奪い去られました。警備員が米兵に撃ち殺されたとき、私はその300メートル側に立っていたので、状況をはっきりと目撃できました。その後、米戦車は近くにある法務省ビルの入口を破壊し、そこでもまた略奪が引き続きおこなわれたのです。

私は大勢の見物人たちの中に立ち、この略奪劇を一緒に見ました。見物していた群衆は、略奪には参加しなかったけれど、それを止めようともしませんでした。多くの人々の目には、恥の涙があふれていました。

翌朝、略奪の波は、400メートル向こうにある現代美術館にまで広がっていきました。そこでもまた2種類の群衆がいました。略奪にせいをだす人々と、それをむかつきながら見物する人々です」

「バヨミさん、ではあなたは、アメリカ軍部隊が略奪の口火を切ったと言うのですね?」

「まったくそのとおりです。喜びにあふれたバグダッド市民が路上でお祝いする場面が見つからないものだから、米軍にとっては別な形で、市民がサダムを憎んでいたという証拠の映像を流す必要があったのです」

「でもバヨミさん、バグダッド市民は、サダムの大きな銅像を引き倒したじゃあないですか?」

「あれを、本当にバグダッド市民が自発的にやったと思っているんですか?銅像を引き倒したのはアメリカ軍の戦車です。それも、報道陣が宿泊しているホテルのすぐ側でです。あの銅像引き倒しがあったのは、4月9日なのですが、それまで私は誰一人としてサダムの肖像を壊しているのを見たことがありません。もし人々がサダムの銅像を引き倒したいのなら、米軍戦車の助けなんか借りないで簡単に倒せる小さなやつから始めるわけじゃあないですか。もしバグダッド市民が政治的な暴動を起こしたかったのなら、まずは銅像を引き倒して、その後に略奪が始まったはずです」

「でもまあ、サダムがいなくなって、よかったじゃあないですか?」

「サダムは消えてはいませんよ。彼は自分の軍隊を、ごく小さな部隊に小分けしたのです。だから、大きな戦闘が起こらなかったわけです。公式発表では、サダムは1992年にすでに大部隊を解散させています。彼はそれに並行して、イラクでは圧倒的な決定権を有する部族機構を再編しました。
アメリカがこの侵略戦争を始めたとき、サダムは国家組織を完全に放棄しました。そして今は、部族機構に頼っているのです。だから、彼は戦わずして大都市を捨てたわけです。

イラクを統治する政治組織が壊滅した今となっては、アメリカはすべてを自分たちでやらざるをえなくなっています。国外から送られてきたイラク人の二人は、あっというまに殺されました。(二人とは、デンマークから帰国したナザル・アル・カズラジ将軍と、シテ回教徒指導者のアブドル・マジド・アルコエイ師を意味する)
彼らはアメリカの傀儡として送り込まれたとみなされ、激怒したナジャフの群衆によりナイフと刀でずたずたに切り裂かれてしまいました。

オランダの新聞、BT紙によると、アル・カズラジ将軍はCIAによりデンマークからイラクに送られたそうです。

イラクでは今、いつまで居座るか分からない占領軍が駐留しています。米軍は民主選挙の期日も、市政統治計画もまだ発表してはいません。こんな状態では、想像できないくらいの混乱が起こる恐れがあるのです」

(翻訳・パンタ笛吹)

このインタビューは、ストックホルムに本拠を置くスウェーデン最大の新聞、ダゲン・ニエター紙4月11日版に掲載されたものである。この記事はオリー・ローゼンボーグにより書かれ、ジョー・バラセックにより英訳された。カリード・バヨミは、ランド大学で10年間、中近東問題について研究し教鞭をとった。彼はこのインタビューを広範に広めることを許可している。

以上TUP速報より

TUP速報の申し込みは
http://www.egroups.co.jp/group/TUP-Bulletin

※TUP=平和のための緊急翻訳チーム Translators United for Peace

記事は日刊ベリタにも転載されています
http://www.nikkanberita.com/

アメリカという難題

力は腐る、絶対的な力はとことん腐る
――J・E・アクトン

by 星川 淳

自然と人間』4月号所収

●アメリカ・プロブレム

 これを書いている3月16日の時点で、世界はまだアメリカによるイラク攻撃の瀬戸際に踏みとどまっている。砂漠の気温上昇と、暗視装置を使った有利な夜間作戦遂行には新月前後が望ましいという条件に縛られ、米軍はもう待てない。攻撃準備が整ったまま開戦が遅れると、25万人の兵員維持費用も、米国内主戦派からの風当たりも重荷になる。本稿が出るころ、事態はどんな展開を見せているだろう。

 しかし今回のイラク問題は、こうした表層を追うだけですませてはなるまい。もちろん、戦争がはじまればかけがえのない人命が失われ、物理的破壊や環境汚染も凄まじいはずで、そのこと自体の正当性を厳しく問い続けるべきなのだが、これまですでに明らかになった重要な問題がたくさんある。その一端が、右に挙げた攻撃開始時期の馬鹿ばかしさだ。91年から98年にかけての第一次国連査察(UNSCOM)が積み残したとされる5〜10パーセントの大量破壊兵器保有疑惑を解明するのに、気温や新月など何のかかわりもない。ただアメリカの軍事行動に都合のいいタイミングだという理由で、主権国家への武力侵攻をめぐって国連が振り回され、罪もないイラクの一般市民が脅威にさらされる。大量破壊兵器を除去するという名目で、戦術核を含む最先端の大量破壊兵器を惜しげもなく投入すると公言し、イラク国民を救うという名目で彼らを大量殺害しようとするブッシュ政権に、国際世論の84パーセントが「アメリカこそ世界の平和と安全に対する最大の脅威」と答えている(タイム誌調査/ちなみに北朝鮮は7パーセント、イラクは8パーセント)。もしアメリカが唯一の超大国でなかったら、だれも相手にしないようなたわごとの数々が、日々トップニュース扱いで茶の間を占領する。世界中で1500万人もの人びとが、こんな愚行はたくさんだと街頭
に繰り出した。

 私は9・11直後、坂本龍一氏らと編集刊行した『非戦』(幻冬舎)の中で、「パックス・アメリカーナ」(アメリカ支配の世界秩序)の終わりがはじまった――21世紀の世界は「アメリカ・プロブレム」を重い課題として背負うと書いた。あの卑劣な無差別テロがアメリカの時代を終わらせるという意味ではない。それを受けたアメリカ人自身の反応が、20世紀を勝ち抜いた覇者の責任と道義を大きく踏み外し、国際社会からの信頼を失うとともに、まるでテロリストたちの罠にはまったかのごとく、これまでなんとか押さえ込んできた内憂外患をすべて悪い方向へ増殖させるような崩壊スパイラルに入りつつあるのだ。

 それにしても、ブッシュ政権誕生後わずか2年あまりでここまで事態が悪化するとは、だれが予想しただろう。クリントン政権のあいだに「双子の赤字」から空前の黒字へと持ち直していたアメリカの国家財政は、早くも史上最大の赤字へと転落した。国外でも、イラクのほかパレスチナ、インド、パキスタン、イラン、北朝鮮など、紛争の激化と新たな火種が同時多発の様相を呈している。イラク問題と同じく、9・11との関連性を明示できないまま米英が報復攻撃を断行したアフガニスタンでは、いまだにカルザイ大統領が米軍特殊部隊に守られ、首都カブール以外の地方は軍閥割拠の乱世に逆戻りしたばかりか、タリバン政権の手でほぼ根絶されていた麻薬原料のケシ栽培は世界一の不名誉な地位を挽回した。

 今後、これら互いに関連し合った「アメリカ・プロブレム」(アメリカという難題)を掘り下げることは、私たち日本人にとっても、国際社会全体にとっても死活的重要性をもつ。そのさい、ブッシュ政権の特殊性と、アメリカ合州国固有の問題とを見分ける必要があるだろう。私はけっして反米主義者ではないし、米国史や外交・国際情勢の専門家でもないが、9・11からアフガニスタン攻撃を経てイラク侵攻前夜にいたるアメリカと世界の動きを見つめながら、考え続けたことを整理してみたい。

●インディアンとカウボーイ

 思春期以来、アメリカ文化に大きな影響を受け、翻訳という生業を通して英語による思想形成も人並み以上に強めつつ、合計3年ほどの滞米経験をもつ私が、アメリカの本質を垣間見た思いで唖然としたことが三度ある。一つは、30歳近くなって編入した大学で、自分より一世代若い学生たちの国防意識に違和感をおぼえたこと。戦争放棄と非武装を基本とする戦後日本国憲法で育った私は、まず「国防」という概念自体に多くの疑問を抱くし、まして「攻められたら武器をとって戦う」などと即答することはありえない。むしろなかば本能的に、武器をとる前にできることはないのか、そんな危機的状況を招かない方法はないのか、仮に攻められるようなことがあるとしたら、その理由や相手の言い分は何なのか――といった自問が先に立つだろう。ところが、ベトナム戦争からそう時間がたっていない時代でも、アメリカの若者は「武器をとる」ことや「国を守る」ことについてほとんど疑いを差しはさまず、自明の理として軍事的国防を語った。その姿は、私には危うく映った。最近、日本でも異口同音の“自明性”をもって武力による国防を語りたがる人びとが声高になってきたのを見ると、当時の学生たちを思い出す。私たちには、半世紀以上にわたって自国の軍隊が一人も他国民を殺さず、寸鉄の武器も輸出しない「平和の文化」があるのだから、堂々と「武力の文化」との違いを主張し、前者の道を深める努力をすればいいのだが、戦後日本の歴代政府・与党は平和憲法を枷(かせ)としか見ず、それを生かす努力をするどころか、後者に対して卑屈になるばかりだった。

 二番目に印象深い体験は、滞米中にテレビで見たアメリカのオリンピック報道だ。日本なら、どの種目も優勝戦ぐらいは取り上げ、自国の選手でなくても勝者の活躍を称えるだろう。ところが、アメリカのテレビでは自国の選手が勝ち進まないと報道を打ち切り、金銀銅のメダル獲得者もおざなりにしか映さない。いっぽうアメリカ選手が優勝しようものなら、これでもかと勝利の笑顔や国旗・国歌を称え上げる。その露骨さには、いささか驚き呆れた。勝者は報われ、敗者は切り捨てられる、残酷な文化の原風景といえよう。

 三番目の体験は、コロラド州の運転免許交付窓口でのこと。それまで私は西海岸のカリフォルニア州にしか住んだことがなく、コロラドを含む南部・中西部・南西部の保守地帯の実態には暗かった。アメリカは東西の海岸部が進歩的で、内陸は「レッドネック」と呼ばれる保守王国(ブッシュ現政権の票田)とされるけれど、カリフォルニアは思想的・政治的にとりわけリベラルな別天地だし、私のつきあいはその中でもコスモポリタンな対抗文化人脈ばかりだった。だから、免許取得にきた韓国人移民と思われる人の拙い英語に係官が苛立ち、しまいに頭を小突く蛮行におよぶのを見て愕然とした。英語を流暢にしゃべらない者は人間ではないと言わんばかりの狭量と、根深い人種差別は、“白いアメリカ”の底流を流れている。

 アメリカの悪口を並べるのが目的ではない。こうした30年を超えるアメリカとの接触を通じ、私は先住民との関係こそ合州国のやり残した宿題だと確信する。さまざまな理由でヨーロッパから渡来した白人たちは、基本的に先住民の土地と生活を奪い、武力によってそれを正当化しつつ反抗を抑え込んで、結局全土を掌握した。もちろん、その過程では建設的な相互交流も無数に起こったが、西部開拓とはインディアン(この呼称が差別だとの指摘もあるが、実際には先住民自身が誇りを込めて自称することも多く、本稿ではこだわらない)領土の強制収用であり、アパルトヘイトなど比べものにならないほどの徹底的な先住民弾圧であった。アメリカ人にとって武力を否定することは、この歴史の問い直しにつながるため、本能的な思考停止がかかってしまうようだ。アメリカのイスラエル擁護は、西部開拓の飛び地と見ればわかりやすい。パレスチナ人は無法の西部で駆逐されるインディアンというわけである。

●ネオコンと福音主義

 ブッシュ政権は後世、イスラエルと強く結びついた「新保守主義者」(ネオコンサーバティスト=略してネオコン)と、福音主義と呼ばれる大衆的キリスト教右派が、その両方にまたがる石油・エネルギー・軍需・金融業界と画策した一種の無血クーデターの産物と分析されるだろう。安手の陰謀説めいて聞こえかねないが、大統領選の勝敗を分けたフロリダ州の不正な票操作、政権中枢を固める人びとの経歴や思想信条、エンロン疑惑などを氷山の一角とする財界との癒着、政権発足後の具体的な特殊権益優遇策、京都議定書や弾道ミサイル制限条約からの離脱に見られる単独行動主義(ユニラテラリズム)、一般的な市民権軽視と秘密主義といった多くの角度から、ブッシュ政権が米国史上まれに見る異常な成り立ちをしていることは裏づけられつつある。中でもラムズフェルド国防長官、ウォルフォウィッツ国防次官、パール国防政策委員長らネオコン人脈が、9・11以前から「アメリカの世界支配を確立するには“新たな真珠湾”が必要だ」と主張していたことは注目に値する。やはりネオコン寄りで知られるライス大統領補佐官が9・11直後、政権ブレーンを緊急召集した席で開口一番、「これを経済利用する知恵を絞れ」との課題を出したことも興味深い。その後の展開はほぼネオコンの筋書き通り進んでおり、事件をめぐる無数の疑惑に照らして、9・11被害者の中からさえブッシュ政権の関与を裁判で問いただす動きが出てきた。

 ネオコンの考え方を要約すると、世界を不安定にして紛争や戦争を続発させれば、比類なき軍事力を有するアメリカへの依存が強まり、そこへ兵器を供給する軍需産業が儲かるから、経済的にも国益にかなうというものだ。もちろん経済覇権の確立には、軍事的支配で石油などの重要資源を押さえることも欠かせない。物理的な植民地をもたないことを除けば、19世紀への先祖返りのような強面(こわもて)の世界戦略を、自他ともに「帝国」呼ばわりすることが不気味に定着してきた。いっぽう福音主義(キリスト教原理主義)のシナリオでは、イスラエルが強大化してアラブ世界の反発を招き、核の最終戦争(アルマゲドン)が起これば、ユダヤ教徒は死に絶えてキリストが降臨する(生存者全員がキリスト教に改宗する)らしい。つまり、この二つの狂信的思想が合体すると、とりあえずイスラエルを強力に支援しながらアラブ/イスラム社会の暴発を誘い、世界的には強硬路線で紛争・戦争を誘発させるという危険きわまりない話になるが、政権発足後2年余の成果[下線部傍点]を見るかぎり、中東も東アジアもその方向へ引きずられている。イスラエルが自滅的・屈辱的なシナリオを受け入れているのか、たんなる打算で同床異夢に甘んじているのかは知らないけれど、緻密なようで幼稚なネオコンのほうが、イスラエルの手玉に取られるかもしれない。

 いずれにせよブッシュ政権は、日本にとっても黙ってついていけば大過なかった戦後のアメリカとは違う。相手を見きわめずに対米追従を続け、軍事的・経済的な無理心中を迫られたらどうするつもりだろう。また米国流の自浄作用が働いて、遠からずもっとまともな政権に変わったときの代償も大きい。小泉=川口の思考停止コンビに、そんな責任を取る覚悟はあるまい。

●ハイパーエシックス

 ひとことで言うと、21世紀の世界がめざすべき方向は、ブッシュ政権のそれとは正反対だと思う。国際法や国連を中心とする多国間主義を軽視・無視するのではなく、20世紀には慣例的に許されてきたような二重基準や不公正を改め、むしろ国際社会全体としてはるかに高い倫理性・道義性を実現することが求められる。これを仮に「超倫理性」(ハイパーエシックス)と呼ぼう。テロが貧困から生まれるというのは弱者・敗者の現実を知らない浅知恵で、非人間的な犯罪は非人間的な屈辱経験、つまり人間としての誇りや尊厳を踏みにじられた激しい怨念を土壌として育つ。それを力で抑え込もうとすればするほど、憎しみの連鎖が増殖するにすぎないことは、イスラエルとパレスチナの惨状が立証している。ブッシュ政権の強硬策はけっして成功しないばかりか、全世界にすさまじいテロの炎を広げるだろう。それがネオコンの意図だから、21世紀をテロと戦争の時代にしたくなければ、アメリカの封じ込めをこそ真剣に考えなくてはならない。国際世論の直感は正しいのだ。

 ハイパーエシックスは次のようなことを要請する。すべての二重基準の撤廃。パレスチナ国家の確立。国連機能の拡充強化。核・生物・化学の全般にわたる大量破壊兵器の例外なき禁止(大国の保有を認めない)。劣化ウラン弾・燃料気化爆弾・クラスター爆弾をはじめ非人道的な大量殺戮兵器の禁止。軽火器製造・輸出の厳正管理。戦争のより厳密な非合法化。20世紀に遡る戦争犯罪(戦時性奴隷、原爆投下、無差別爆撃、大量虐殺など)の問責……等々。さらに、こうした公正化の責任は、経済力や軍事力が大きい国ほど厳しく問われる。昔からノブレス・オブリージュ(恵まれた立場にともなう重い義務)は原則である。それと逆行するブッシュ政権は、19世紀の歴史家J・E・アクトンいわく「力は腐る、絶対的な力はとことん腐る」の定石どおり、衰亡の兆しなのかもしれない。

 最後に特筆すべきこととして、9・11以後進行するメディアの機能不全を挙げたい。国益のために国内外向けの情報操作をためらわないと公言するブッシュ政権は、オーウェルの『1984年』を地でゆくあからさまな世論工作・誘導を続けており、第四権力たるメディアが体を張って抵抗しなければ民主社会は守れない。米本国マスコミの惨敗ぶりはしかたない面があるにせよ、日本のメディアも右へ倣えでアメリカ大本営発表を垂れ流す現状は許し難い。ジャーナリスト諸姉諸兄の奮起を促すとともに、グローバル資本から自由な独立系メディア創設の必要性を痛感する。

星川 淳(ほしかわ・じゅん)http://innernetsource.hp.infoseek.co.jp/
1952年、東京生まれ。作家・翻訳家。82年より屋久島在住。
著書に『環太平洋インナーネット紀行』(NTT出版)、『屋久島水讃歌』(南日本新聞社)、『地球生活』(平凡社ライブラリー)、訳書にP・アンダーウッド『一万年の旅路』(翔泳社)、J・ラヴロック『ガイアの時代』(工作舎)、W・R・ピット+S・リッター『イラク戦争』(合同出版)ほか多数。

★ 月刊『自然と人間』 http://www.n-and-h.co.jp/

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