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“ありがとう、ブッシュ大統領”パウロ・コエーリョ
“デニスクシニッチ下院議員の演説”
“あげた手をおろす”上野千鶴子
“新世紀へようこそ 056”池澤夏樹
“ イラク日記(6)庶民生活 より”田中宇
“ イラク日記(7)劣化ウラン弾の町”田中宇






















「ありがとう、ブッシュ大統領」
パウロ・コエーリョ
2003年03月19日

ありがとう、偉大な指導者ジョージ・W・ブッシュ。

 サダム・フセインが体現している危険をすべての人に知らせてくれて、ありがとう。私たちの多くは、彼が化学兵器を、自国民に対して、クルド人に対して、イラン人に対して使用したことがあるのを忘れてしまっていただろうから。フセインは血に飢えた独裁者であり、現時点においてもっとも明白に悪を体現している人物のひとりである。

 しかし、私があなたにお礼を言いたい理由はほかにもある。二〇〇三年の最初の二か月の間に、あなたはいくつも重要なことを世界に示してくれたのであり、それゆえ感謝を捧(ささ)げたい。そこで、子供のころに覚えた詩を模して、あなたにありがとうと言っておきたい。

 ありがとう。トルコの国民と議会とが、たとえ二百六十億ドルを払っても買収できないことを全世界に見せてくれて、ありがとう。

 ありがとう、統治者の決定と、国民の願望との間に巨大な断裂があることを世界に示してくれて。
 ホセ・マリア・アスナールとトニー・ブレアがともに、自分を選出した国民の声にまったく重きを置かず、まったく敬意をもっていない人であることを明確にしてくれて、ありがとう。アスナールはスペイン国民の九〇%以上が戦争に反対であることを無視しおおせ、ブレアはこの三十年間の英国で最も大規模なデモを心にかけない。

 ありがとう、あなたの不屈の精神のおかげで、トニー・ブレアは捏造(ねつぞう)された書類をもって英国議会に臨まざるをえなくなった。ひとりの学生によって十年も前に書かれた文書が、「英国諜報機関の収集した決定的な証拠」として提示されたのである。

 ありがとう、コリン・パウエルを物笑いの種にしてくれて。彼が国連安全保障理事会の場で提示した数枚の写真は、一週間後、イラク武装解除の責任者である査察委員長ハンス・ブリクスから公式な反論を受けることになったのである。

 ありがとう、あなたの態度のおかげで、フランスのドミニク・ドビルパン外相は、戦争に反対する演説によって、国連総会の場で万雷の拍手を受けるという名誉に浴することになった  ──これは私の知るかぎり、国連の歴史上、これまでにたった一回しかなかったことであり、それはネルソン・マンデラが演説した際だった。

 ありがとう、あなたの戦争努力のおかげで、いつもばらばらであるのが当たり前のアラブ諸国が、二月の最後の一週間カイロで開かれた会議で、初めて一致団結して侵略を非難することになった。

 ありがとう、「国連が現実的な有用性を示す最後のチャンス」と主張するあなたのレトリックのおかげで、もっとも及び腰だった国々でさえ、ついにはイラク攻撃反対の立場をとることになった。

 ありがとう、あなたの外交政策のおかげで、イギリスのジャック・ストロー外相は、二十一世紀のただ中で、「戦争が道徳的な正当性をもつ場合もある」と発言した ──そして、その発言によって、すべての信用を失うことになった。

 ありがとう、統合のために苦闘しているヨーロッパを、分断しようと試みてくれて。それはまたとない警告として、決して忘れられずに生きてくる。

 ありがとう、今世紀、ほとんど誰にもなしえなかったことを実現してくれて ──世界のすべての大陸で、同じひとつの思いのために闘っている何百万人もの人を結びあわせてくれて。
 その思いというのは、あなたの思いとは正反対のものであるのだが。

 ありがとう、再び私たちに、たとえ私たちのことばが聞き届けられることがなくとも、少なくとも自分は黙ってはいなかったのだ、と感じさせてくれて ──それは将来において、私たちにより以上の力をあたえてくれることになる。

 ありがとう、私たちを無視してくれて。あなたの決断に反対する態度を明らかにしたすべての人を除(の)け者にしてくれて。なぜなら、地球の未来は除外された者たちのものだから。

 ありがとう、なぜなら、あなたがいなければ、私たちは自分たちに人を動かし、動員する力があることに気づかなかったはずだから。その力は今すぐには何の役にも立たないかもしれないが、もっと後になって必ず役立つはずだから。

 戦太鼓がもはや後戻り不能なところで鳴り響いているような今、私はかつて、ひとりのヨーロッパの王が侵略者に対して語ったことばを自ら口にしておきたい。
「どうかあなたの朝が美しいものでありますように、太陽があなたの兵隊の鎧(よろい)の上で輝きますように ──なぜなら、午後には私があなたを打ち負かしますから」

 ありがとう、すでに起動してしまっている歯車をなんとか止めようとして街路を練り歩く名もなき軍勢である私たちに、無力感とはどんなものかを味わわせてくれて。その無力感といかにして戦い、いかにしてそれを別のものに変えていけばいいのか、学ぶ機会をあたえてくれて。
 それゆえ、どうかあなたの朝を、そしてそれが今のところまだ、もたらしているのであろう栄光を、十分に味わっておいていただきたい。

 ありがとう。私たちに耳を貸さず、私たちの言うことを本気にしないでくれて、ありがとう。むろんのこと、私たちはあなたの言うことをしっかり聞いており、あなたのことばを決して忘れない。そのことを、ぜひ知っておいていただきたい。

 ありがとう、偉大な指導者ジョージ・W・ブッシュ。
 ありがとうございました。(作家)

(原文はポルトガル語。翻訳は旦(だん)敬介氏)

Paulo Coelho
ブラジルの作家。47年リオデジャネイロ生まれ。代表作は魔法や錬金術が登場する寓話的な小説『アルケミスト』(88年、邦訳は地湧社と角川書店)。他の著書に『ベロニカは死ぬことにした』(角川書店)、『悪魔とプリン嬢』(同)など。

デニスクシニッチ下院議員の演説

オハイオ州選出の下院議員デニス・クシニッチ氏が、2003年1月5日にクリーブランド州でおこなったスピーチ。
グローバル・ピース・キャンペーン OPEN-J BOOMERANG 28より。

 私が描くアメリカとは、単独行動主義の代わりに世界調和を求める国であります。最初に攻撃するのではなく、最初に手を差し伸べる国。世界のひとびとの重荷を軽くするために努力する国。援助を乞われたら、爆弾ではなくパンを、ミサイルではなく医療援助を、核物質ではなく食料を分配するのがアメリカなのです。

 アメリカには世界での役割があります。それは世界の国々と協力して世界各国の平和を達成することです。それは、不拡散条約の約束をもとに戻し、率先して核兵器全廃に向うことです。国際秩序を確保する手助けをすること。国際条約を補強し、順守すること。生物化学兵器と地雷の管理と最終的には撤廃を保証すること。炭素排出削減のため世界各国と協力して地球の気候を保護することです。

 アメリカは世界を守る助けをできます。世界を救う助けができます。しかし、世界を管理することはできないし、私たちもそれを望むべきではありません。
 しかし私たちの政府はアメリカのパワーを支配するために使おうとしています。

 その国家安全保障の方針では、アメリカは世界のどこでも好きに攻撃でき、最初に核兵器を使えるとしています。

 我が国は今やイラクへの戦争を国をあげて行うとしています。
 イラクはアメリカに対していかなる敵対行為をしていません。
 イラクは9月11日のテロ攻撃には責任がありません。
 9月11日テロ攻撃でイラクとアルカイダを結び付ける信用できる証拠は何もありません。炭疽菌事件にイラクは責任がありません。
 イラクが使用可能な大量破壊兵器を保有しているという証拠を国連は未だ確認していません。イラクがアメリカを攻撃できる能力があるという証拠は何もありません。
 CIAによれば、イラクはアメリカを攻撃する意志はないが、もし攻撃されれば反撃すると言っています。

 それでは何故、我が国は30万人もの我が若い男女をバグダッドやバスラの市街戦に送り込もうとしているのでしょうか。
 なぜ我が国は、イラク破壊のために2000億ドル以上の、汗水たらして私たちが稼いだ税金を注ぎ込もうとしているのでしょう。
 なぜ我が国は、歴史上かつてないほど強力な軍事力でイラク国民を攻撃し、彼らの家やビルを破壊し、水道や送電施設を壊滅し、彼らの食料や医療品の補給を絶とうとしているのでしょう。

 その答えは、石油経済、兵器輸出の利益、歪んだ帝国建設主義を抜きには考えられません。

イラクとの戦争は間違っています。しかしもし、イラクとの戦争に突入すれば、私たちはこの国で平和の種を蒔き始めなければなりません。
 私たちは立ち上がり、声を上げ、仲間をつくり、デモに参加し、戦争反対を要求し、戦争を肯定する政府を止めさせるよう求めなければいけません。

 私たちがこの戦争に反対することは緊急な問題です。
 それは国家の優先事項を無視するでしょう。
 社会保障制度を危うくするでしょう。医療制度を危うくするでしょう。
 老人への医療補助を危うくするでしょう。
 アメリカがすべての人に仕事や健康医療補助、教育を与えることを危うくするでしょう。
 戦争について政府に批判的なことは非愛国的だと信じる人たちがいます。その人たちは政治的には経済問題を論じた方が利口だと思っています。
 しかし、戦争を国家予算から分けて、戦争を経済から分けて、戦争を国民の生活必需品を供給する能力と分けて考えられるでしょうか。

 私たちは質問する必要があります:

 イラクの無実の人々の健康と生活を破壊するのに何千億ドルも使うのに、なぜアメリカ国民全員に健康医療補助をできないのか。

 アメリカはサダムフセインを引きずり下ろすのに何千億ドルも使うのに、なぜ自分の国民の退職保険を保護する金がないのか。

 イラクのユ−フラテス川の橋を爆破する金をアメリカにはあるのに、なぜここクリーブランドのクヤホガ川に橋を建設する金がないのか。

 アメリカがとるべき道は繁栄を導くような平和です。それは経済システムが健全で、基本的な生活環境や人間の価値を保障するような平和構造を理解することです。

 これが平和省の夢です。それによって、アメリカが私たちの社会で非暴力を基本的原則にする第一歩を歩むことができるのです。
 マーティン・ルーサー・キング牧師の仕事を現実にすることができるのです。
 そして戦争自体を過去の物にできるのです。

 この平和希求と平和創造の倫理によって私たちは宇宙から兵器を降ろし地球に新しい可能性溢れる天国を創造する仕事を始められるのです。

 平和と繁栄が新生アメリカの2つの柱になるべきです。それが国家の目的として我が国民の経済と社会の安定をもたらし、そして他の国々の経済と社会の発展をもたらすのです。

 この国民の目的を確認することはフランクリン・ルーズベルトとニュー・ディール、リンドン・ジョンソンと偉大なる社会、ジョン・F・ケネディとニュー・フロンティアの夢でした。

 これは今後も私たちの夢であり続けるでしょう。
 そして、どのような暗いときになっても、私たちはアメリカの目的の灯りをさらに高く掲げ続けるべきです。それがワシントンやジェファーソン、アダムズからリンカーンを経て今日までの時代を通して訴えている私たちの使命なのです。

 私たち国民は、9月11日の暗黒日やそれに対する政府の対策にもかかわらず、常により高い使命感を持って来ました。
 それは危機の時も平和の時も、民主主義への探究と、自由と公正への探究を維持する使命感です。そのより高い使命感を私たちは感じることができます。
 そのより高い使命感が私たちの遺産です。フランシス・スコット・キーの言葉がいまだに響いています:

『自由の土地と勇気あるものたちの家の上に、星条旗は未だはためいているだろうか?』

 この中で彼は自由と勇気との結びつきを祝福しています。民主主義の中に生きるには勇気が必要だと。テロリストに立ち向かい、基本的自由を守るには勇気が必要です。
 世界の兵器廃絶に向って進むには勇気が必要です。一方でそれが曲げられ破壊をもたらしています。

 世界の独裁者に対して、彼らを爆弾で黙らせたいという誘惑を抑えて交渉するには忍耐が必要です。
 大きな力を持ちながら世界でそれを優しく使うには知恵が必要です。
そして生存を賭けて、厳しい生活環境や抑圧的な政府のもとで自己のつましい生活を送ろうとしている世界の人々の苦しい状況を理解するには、思いやりが必要です。

 みなさん。これはあなたの政府です。その運命をどのように描くのかあなた方には発言する権利があります。
 その権利は私たちの独立宣言から導かれています。
 それは自己統治を基本的な権利としました。政府はワシントンDCだけで起きるのではありません。それは何千という市、町、村で起きるプロセスの結果です。
 それはまた、私たちの心に起きるプロセスでもあり、それが国土への愛やお互いの愛によって生まれるのです。

 私がこれらの希望や夢を遂行できるのはみなさんの愛からです。
 それを勇気を持って将来に向けてやっていくつもりです。
 ありがとうございました。

(訳・森田玄)
あげた手をおろす
上野千鶴子

2002年2月に“新世紀へようこそ 070”で紹介されたコラムです。アフガニスタン攻撃のあとに書かれたものですが、イラク攻撃にも全くあてはまります。

 昨年の同時多発テロ以来、なんともやりきれない思いが続いている。テロは許せない。何の関係もない民間人の命を奪ったのは卑劣だ。怒りがわく。そこまではよい。そしてこぶしを握りしめて手を挙げる・・・その手をどこにふりおろそうというのか?

 アメリカは挙げた手を、アフガニスタンにふりおろした。世界最大の軍事大国が、その軍事技術の粋を尽くして、長年にわたる戦乱で疲弊しきった貧しい小国をたたきのめした。ブッシュ大統領が決断したこの宣戦布告なき戦争、国際法にのっとらない他国への攻撃行動を、アメリカ議会はたったひとりの反対を除いて支持した。世論の圧倒的多数派も大統領の決断に賛意を示した。たったひとりの反対派は、バーバラ・リーという女性議員だった。女は平和主義者なのか? いや、彼女以外のすべての女性議員は賛成にまわったのだし、ブッシュの軍事戦略の影には、ライス長官という女性の参謀役がいる。国民の8割の支持のなかには、当然たくさんの女性が含まれる。

 小泉政権がただちにブッシュの支持を表明し、テロ特措法を性急に決めたとき、日本国民の賛否は、男性と女性とでは逆転した。女性のほうが武力の行使にためらいを示した。だから日本の女は平和主義者だと言えるだろうか? 半世紀前、女たちが翼賛の旗を振ったことをおぼえているわたしたちは、女だというだけで自動的に平和主義者だということにはならない、と知っている。

 新聞の投稿欄に、女性のつぶやきが載っている。アメリカのアフガニスタン攻撃に批判的な感想をもらした彼女に、夫は声をあらげてこう言った、という。

「だからって、何もしないわけにはいかないだろう?」

 アメリカの男は、アメリカの女たちも、おなじように言う。アメリカのフェミニストもそういう。

「だからって、何もしないわけにいかないでしょう?」

 わたしはそれを聞くたびに思う。アメリカのフェミニストは、フェミニストである以前に、アメリカ主義者だ、と。彼女たちはいったい何をしているのだろうか? 声が聞こえてこない。そう思っていると、タリバーンが女性から職をとりあげ、教育を禁止し、ブルカを強制した性差別者だ、だから攻撃してもよい・・・という声がとどく。わたしのきもちわるさは募る。これがフェミニズム? 武器と暴力でおしつけられる「解放」って何だろう? フェミニズムとは、他者の救済ではなく自己解放、なによりも自己定義権のかくとくのことではなかっただろうか? 「これがあなたにとって解放よ」と、当事者以外のだれが、アフガニスタンの女に「教えてやる」ことができるだろう?

 理不尽な暴力に遭う。ゆるせない、と拳をにぎりしめる。そこまではおなじだ。そこで、くちびるをかみながら拳をおろす。そんな経験を、わたしたちはしてこなかっただろうか。ヒロシマ、ナガサキの惨劇のあと、日本には拳をふりあげる力さえなかった。夫に殴られつづける妻も、食ってかかって反撃したりはしない。なぜか。自分の無力さが骨身に沁みているからだ。反撃すれば、もっと手痛いしっぺがえしが待っていることを、知っているからだ。この経験は、無力なものには親しい。

「だからって、何もしないわけにいかないでしょう?」

 そう言えるのは強者の権利。強大な軍事力という危険な道具を手にしたもののおごり。

 わたしは湾岸戦争のときにあるアメリカのフェミニストと、激しい議論をしたことを思い出す。湾岸戦争を批判したわたしに、彼女はこう言ったのだ。

「だったらあなたはフセインの蛮行をだまって見ていろ、というの?」

 そう。そのとおり。ヒロシマの人々は、アメリカの蛮行をされるがままに受け容れた。ニカラグァの人々もアメリカの侵攻を黙って耐えた。なぜなら・・・無力だったからだ。

 もしあなたが無力なら、あなたは反撃しようとはしないだろう。なぜなら反撃する能力があなたにはないからだ。あなたが反撃を選ぶのは、あなたにその能力があるときにかぎられる。そしてその力とは、軍事力、つまり相手を有無を言わさずたたきのめし、したがわせるあからさまな暴力のことだ。

 反撃の道が封じられているとき。わたしたちはどうしたらいいのだろう? 問いは、ほんとうはここから始まるはずだ。

 わたしはフェミニズムを、ずっと弱者の思想だと思ってきた。もしフェミニズムが、女も男なみに強者になれる、という思想のことだとしたら、そんなものに興味はない。弱者が弱者のままで、それでも尊重されることを求める思想が、フェミニズムだと、わたしは考えてきた。

 だから、フェミニズムは「やられたらやりかえせ」という道を採らない。相手から力づくでおしつけられるやりかたにノーを言おうとしている者たちが、同じようにちからづくで相手に自分の言い分をとおそうとすることは矛盾ではないだろうか。弱者の解放は、「抑圧者に似る」ことではない。

 アフガニスタンでは「戦争」がまだ続いている。挙げた手を、いつ収めればよいか、事態の収拾の時期をブッシュはつかみかねている。最近の世論調査によれば、「ビンラディンを拘束するか殺すまで、空爆をつづけるべきだ」という意見に、アメリカの多数派が賛成したという。テロ対策、つまり「自衛」が、この正統性のない攻撃の大義名分だから、「敵」将の首級を挙げなければ、矛を収めることはできないのだ。

 しかもこの機に乗じて、「テロとの闘い」の名のもとに、イスラエル政府によるパレスティナへのあからさまな武力攻撃が始まった。ゲリラ的な攻撃や自爆テロに対する「報復」として民間人の住む街や施設が破壊され、犠牲者が出る。アメリカのアフガニスタン攻撃と同じ論理、同じやりくちである。そしてアメリカとおなじく、それをおししとどめる力はどこにもない。アメリカは「テロ対策」と称して、フィリピンにも軍隊を送り、軍事行動を開始した。「テロとの闘い」という名目さえあれば、アメリカの軍隊は世界中いたるところに主権を無視しても軍事行動をおこすことができる。「パックス・アメリカーナ(アメリカの平和)」が、あからさまな暴力で支えられていることを、こんなに目に見えるようにしたのが、ポスト冷戦の効果なのだろうか。
 アフガニスタンの人々にしてみれば、犯人だという証拠もなくどこにいるか所在もあきらかでないビンラディンという、しかも外国人のために壊滅的な打撃を受けることになった。ピンポイントというが、爆撃は軍事施設だけを破壊するわけではない。その下にいる人間を殺傷し、民間人を犠牲にする。アフガニスタンで犠牲になった6万人といわれる人々は、いったい何のために死ななければならなかったのだろうか?

 空爆の恐怖を覚えている人々が日本にはいる。そのひとたちは、空爆下のアフガニスタンの人々に、半世紀前の自分のすがたを重ね合わせている。11月26日の朝日新聞の歌壇には、次のような歌があった。

「空爆のニュース日すがら流れいてむせび泣くなり沖縄の母 新里スエ」

 東京大空襲では10万人の人々が死んだ。主として民間人だ。空爆は第1次世界大戦のときにドイツがはじめて考案し、ただちにイギリスが追随した。しかも民間人を直撃する都市のじゅうたん爆撃だ。なぜこんな無法な攻撃方法が、戦争犯罪と見なされなかったのだろう?非人道的攻撃と?だが、日本という国は、核兵器さえ非人道兵器と主張することのできない国だ。

 しかしただちに次のような問いが浮かぶ。合法な戦争というものはあるのだろうか。人道的な攻撃は? 戦争犯罪というからには、犯罪にならない戦争があるのだろうか? 戦争犯罪というかわりに、どうしてわたしたちは、戦争が犯罪だ、ということができないのだろう?

 日本人の一国平和主義とは言われたくない。女は本質的に平和主義者だとも信じない。もしわたしたちが今でもそしてこれからもフェミニストをなのりつづけるなら・・・憲法ナショナリズムにもジェンダー本質主義にもよらない非戦・非暴力の論理を構築することが、思想としてのフェミニズムに求められている。もしあらゆる暴力が犯罪だ、と言うことができなければ、わたしたちはDVすら解決することができないのではないだろうか。

[日本女性学会ニュース89号掲載予定]

新世紀へようこそ 056
池澤夏樹

2001年12月3日アフガン攻撃の時に配信されたものです。やはりいま読んでも同じ気分です。

「クーバク」と戦争の定義

 新聞の紙面でアフガニスタン問題が占める面積が次第に減ってきています。

 それだけ見ていると事態は沈静化しているように見えますが、実際には空爆はまだ続いています。

 先日、アメリカはカンダハルおよびその周辺に対して、10月の開戦以来最大規模の空爆を行いました。

 道を走っていたバスが標的になり、30名以上の民間人が死んだそうです。

***

 「空爆」というのは爆弾やミサイルを落とす側の言葉です。される側から言えば「空襲」です。

 日本人にとっては懐かしくも恐ろしい言葉のはずです。

 それにしても、いつから「爆撃」が「空爆」に変わったのでしょうか。これはいったい誰がどこで使いだした言葉なのか。爆撃にミサイル攻撃が加わったのが空爆でしょうか。

 広辞苑第5版には「空中爆撃の略」という説明がありますが、これもよくわからない。空中からでない爆撃というものがあるのでしょうか。

 ぼくの日本語感覚によれば、「バクゲキ」という濁音の多い響きの方が、「クーバク」というつるりと滑らかな言葉よりもずっと実感がこもっている。

 劇画風に言えば「バ・ク・ゲ・キ!」。

 英語ならば、bombardment の二つ目のbに置かれたアクセントの響き。

***

 爆弾について、また砲弾と銃弾について考える時には、それを受ける側の立場も想像してみてください。もちろん、旅客機を使ったテロ攻撃についても。

 具体的なレッスン──

 まず、銃を手にした強い自分を想像して、目の前の相手を思うままに操れる快感を想像する。セックスがらみの古典的な例を挙げれば、銃を手にした強いあなたは、目の前の異性に衣服を脱げと命ずることができる。

 それと同時に、銃口を向けられた自分も想像してください。見知らぬ相手の前で衣服を脱ぐという屈辱に耐えかねて相手に跳びかかろうとし、そこで撃たれて自分の身体がばらばらになるところまで。

 武器というのはそういうものです。ナイフでも拳銃でも、またステルス爆撃機や気化爆弾や核兵器でも、基本的な性格は同じです。

 男と女の間でも、国と国、国と組織、組織と個人、国と個人、すべての対立するグループの間で、この威嚇・脅迫と恐怖・屈辱の関係が成り立つ。

***

 11月29日、アメリカのブッシュ大統領は対テロ特別軍事法廷の正当性を改めて主張しました。テロ行為は司法が裁く対象としての刑事事件ではなく「戦争行為」だからというのがブッシュ氏の論拠です。

 アメリカの国民の59パーセントがこれを支持、37パーセントが反対しているそうです。

 37パーセントの反対というのはなかなか大きい数字です。

 議会でも批判の声が高まってきました。

 では、9月11日のニューヨークとワシントンに対する同時多発テロ攻撃は本当に「戦争行為」だったのか。

 これを犯罪ではなく戦争として受け止め、大規模な反撃で応ずることは正しい処置だったのか。

 いろいろな意見があり、議論は錯綜しています。

 こういう時は基本にかえった方がいい。

 国家間の倫理の基準は国際法です。法の観点から見て、あれは本当に戦争行為だったのか。

 この点に関して、ぼくが目にした最も明快な論旨は哲学者の加藤尚武さんが提示したアピールでした。「いかなる転載にも同意します」とあるので、ここでご紹介します。

 以下、加藤尚武さんの論──

  1.  国際法上の「戦争」とは、単に軍事行動が行われたという時点では成立せず、主権国家もしくはゲリラ団体が戦争の意思表示をすることで成立します。
     ゆえに、今回の連続テロは犯罪であって、戦争ではありません。犯罪として対処すべきです。

  2.  国際法では、いかなる紛争にたいしてもまず平和的な解決の努力を義務づけています。
     ブッシュ大統領が、連続テロの今後の連続的な発生の可能性に対して、平和的な解決の努力を示しているとは言えないので、新たな軍事行動を起こすことは正当化されません。

  3.  国際法は、報復のために戦争を起こすことを認めていません。したがって、たとえ連続テロが戦争の開始を意味したとしても、現在テロリストが攻撃を継続しているのでないかぎり、報復は認められません。

  4.  連続テロに対する報復戦争が正当防衛権の行使として認められるためには、現前する明白な違法行為に対しておこなわれなくてはなりません。
     予防的な正当防衛は、国際法でも国内法でも認められていません。連続テロに対する報復戦争を正当防衛の行使として認めることはできません。

  5.  国家間の犯人引き渡し条約が締結されていないかぎり、犯人引き渡しの義務は発生しないというのが、国際法の原則です。
     「犯人を引き渡さなければ武力を行使する」というアメリカ大統領の主張は、それ自体が、国際法違反です。

 以上の理由によって、私(加藤尚武氏)は連続テロに対する報復戦争は正当化できないと判断します。

 ここまでが加藤氏のアピールの引用でした(出典は未来社という出版社のPR誌「未来」の2001年11月号です)。

 国際法の見地から言えば、今アフガニスタンで行われているのは戦争ではありません。

 ブッシュ政権は最初から平和的解決の努力を放棄してきた。

 タリバンの側はしかるべき証拠が提示されればビン・ラディンをイスラム諸国会議機構(OIC)、あるいは第三国で開かれる法廷に引き渡すこともあり得ると言っていました。対話の可能性はあったのです。

 それを無視して開戦に走ったのはアメリカ側でした。

 今アメリカがしているところの、大量の航空機と地上軍による攻撃が国際法に言う「戦争」でないとすれば、それは「テロ行為」です。他に呼び名はありません。要するに彼らはテロに対してテロを以て報いようとしている。国際法はそのようなことを許していない。

 仮にブッシュ氏がこれは戦争であると主張するのなら、投降したタリバンの兵士はジュネーブ条約に従って正しく捕虜として扱われるべきです。

 先日、アフガニスタン北部カライジャンギの、北部同盟が管理する収容所で、捕虜のタリバン側兵士数百人が殺害されるという事件が起こりました。

 北部同盟は捕虜が暴動を起こそうとしたと言っていますが、投降後すぐの意気消沈した捕虜が、普通の扱いを受けていて暴動を起こすというのは考えがたい。

 捕虜というのは武装解除されて収容されるものです。数百人を殺さなければ鎮圧できないほどの大規模な暴動がなぜ可能だったのでしょうか。

 11月の半ばに、マザリシャリフで北部同盟によってタリバン側の少年兵数百人が殺されるという事件がありました。今回のカライジャンギも同じようなケースではないかという疑いがあります。

 この件に関して、国連のロビンソン人権高等弁務官が、戦争捕虜の扱いを定めたジュネーブ条約に照らした国際的な調査が必要だと言っているのは当然です。

 北部同盟がアメリカの手厚い支援でここまで来たことは周知の事実ですし、従ってアメリカは北部同盟に対して強い発言力を持っているはずですが、彼らは何も言っていない。国連の調査に協力するつもりもない。

 別の場所では、アメリカ軍が北部同盟管理下の捕虜収容所を「誤爆」して、捕虜多数が死んだという情報もあります。

 こちらから見ていると、北部同盟もアメリカも勝手放題をしているとしか見えません。

 軍事法廷の問題といい、戦争に関する国際法といい、またジュネーブ条約といい、また日本の憲法問題といい、こういう事態になると急に法律が軽くなるようです。

 これは世界全体が悪い時期に入りかけている兆候のようにぼくには思えます。

(池澤夏樹 2001−12−03)

“イラク日記(6)庶民生活”より
田中 宇
2003.1.28に配信された国際ニュース解説の一部分を紹介します。全文はこちら

※途中からです。

▼肉を食べられない庶民生活

 高額商品についてはこのくらいにして、庶民でも買う日用品の価格について書く。バクダッドの中心に近い住宅街で、八百屋に入っていろいろな野菜の値段を尋ねたところ、1キロあたり、ジャガイモとタマネギが500ディナール(30円)、ミカンは1050ディナール(60円)、イラン産のリンゴは1750ディナール、中国産のブロッコリは2000ディナール、シリア産のイチゴは7500ディナール(470円)だった。野菜や果物の色つやは良く、おいしそうだ。


 次に、となりの雑貨屋で尋ねた。鶏卵1個100ディナール、国産タバコ1箱250ディナール、電球は国産が400ディナールで中国製は500ディナール。トルコ製パスタ一袋500ディナール。石鹸1個100ディナール。歩道にコンロを入れたカートを置いて営業しているお茶屋「チャイ屋」のお茶は一杯50ディナールだった。

 向かいの肉屋では、羊と牛の赤身の肉がそれぞれ1キロ4500ディナール(280円)、ソーセージは1キロ5500ディナール、羊の内蔵(腸)は1キロ1500ディナールだった。肉は、夏には1キロ7000ディナールぐらいに値上がりする。夏は雨が全く降らないので牧草が減り、肉の価格が高騰するのだそうだ。


 1ディナール1円ぐらいだとして考えると、日本の物価水準と大体似た感じになる。為替相場(1円が約16ディナール)から考えると、物価は日本の16分の1である。ところが、就業者の多数を占める公務員の月給は、教師が5万ディナール、医師が10万ディナールといったところなので、年収との単純比較で考えると、1ディナール10円ぐらいでないと釣り合わない。

(情報省のガイドのフセインは当初、教師の月給が5000ディナールだと言っていたが、後でフセインが教育省に連れていってくれたとき、対応した局長さんに「教師の給料が5000ディナールなのは安すぎないか」と尋ねたら「そんなに安くない」と言われ、実は5万ディナールぐらいもらっていることが分かった。外国人からの質問に対し、情報省は庶民の生活苦を強調しようとして、公務員の給与を低めに言い、物価水準を高めに言う戦略をとっているのかもしれない)

 このほか、イラク政府は全国民に対し、毎月9キロの小麦粉、3キロのコメのほか、植物油、砂糖、塩、お茶、洗剤など、最低限の生活に必要な物資を配給している。それらを加味しても、月給5万ディナールでは、食べるだけがやっとだろう。「一般の公務員の月給だけでは、安い野菜は買えても、肉を全く口にできない」とフセインが言っていた。1ディナール1円の物価水準だとしても、肉は冬季の安いシーズンでも100グラム450ディナールだから、肉の値段は日本の3−5倍ということになる。公務員の給与水準は、1ディナール1円換算よりもっと低いので、肉を買えないのは本当だろう。

▼札束の苦悩

 イラクでは石油産業が国有化されているので、湾岸戦争前のイラクは石油を輸出して国庫を潤していた。ところが湾岸戦争後の経済制裁で石油輸出が禁止され、1996年以後に制裁が緩和された後も、イラク政府は国連が認めた一定量の石油しか輸出することを許されていない。国家財政が貧しいままなので、公務員の給与を上げられないという事情がある。

 イラクの通貨ディナールの為替は、湾岸戦争前は1ディナールが3ドル(300円弱)だった。ところが湾岸戦争の敗戦と経済制裁でディナールの相場は急落し、私がイラクを訪れたときは1ドル2200ディナールだった。ものすごいインフレなので、政府が高額紙幣を準備する余裕がなく、最近まで最高額の紙幣は250ディナールだった。最近ようやく1万ディナール札が新規発行されたが、まだほとんど出回っていなかった。250の上の高額紙幣がいきなり1万になるあたりが、インフレのすごさを物語っている。

 事実上の最高額紙幣が250ディナール(15円)なので、100ドルも両替すると、ビニールの手提げ袋が一杯になってしまう。町の両替屋では黒いビニール袋をくれた。ホテルのパソコンで白黒のプリントアウトを1枚するのが250ディナールだった。お札の価値より、お札の印刷代の方が高いかもしれない。ちょっとした買い物をしに行くのに、100枚の札束をいくつも持って行かねばならない。250ディナール以外のお札は、ほとんど見なかった。

 お札の価額が250という区切りの悪い数字なので、買い物の支払いのときには苦労する。少し高い買い物になってドルとディナールを混ぜて払うときなど、ディナールの方は店員も数えなかったりする。100枚の束の最初と最後の通し番号だけ見て100枚だということにしてしまっていた。

▼公務員に女性が多い理由は・・・

 私たちはイラク政府の教育省のほか、厚生省(保健省)にも行って局長級の幹部から説明を聞いたが、いずれの官庁も女性職員が多いのが目立った。さすがイラクは社会主義の国だけあって女性の社会進出が進んでいる、と思っていたら、教育省の局長は「最近は男性が公務員になりたがらないのが問題だ」と言う。給料が安すぎて、稼ぎ頭の男性が公務員を続けていると一家を食わせていけないので、多くの男性職員が退職して「民間セクター」に移ってしまったのだという。

 タクシー運転手、街頭のチャイ屋や露天の雑貨屋、廃品回収業などが、元手が少なくてもできる商売だ。廃品回収業の人に月収を尋ねたら15万ディナールだった。公務員の医者の1・5倍の収入である。

 最近は病院でも、従来の公営部門(医療費は完全無料)のほかに、医療費をとる代わりに良い医療を行うという民営部門を新設し、そちらの収入で医者の収入を底上げするケースが多いという。事実上の病院民営化である。無料のはずの公営部門でも、手術の際などに患者の家族が担当医師にお金を払うことを要請されるようになっていると聞いた。

 こうした傾向は「社会主義市場経済」の中国などでも同じだが、イラクのケースが特殊なのは、アメリカが大量破壊兵器にかこつけてイラクの石油輸出を阻止していることを止めれば、医療は無料に戻せるという点である。

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“イラク日記(7)劣化ウラン弾の町”
田中 宇

イラク日記(7)の全文です。サイトはこちら

○2003年1月13日

 今日は、南部の町バスラに行く日だ。バスラはクウェート国境近くのイラク第2の都市で、湾岸戦争の激戦地にも近い。湾岸戦争時、米軍はこの地域の戦闘で劣化ウラン弾を使用した。劣化ウランは原子力発電所などから出る核廃棄物で、これを混ぜることで安い価格で硬い金属を作れ、ミサイルや対戦車砲の表面に使うと砲弾の貫通力が強まる。

イラクの地図(ナゴヤ建機センターのホームページ内)
http://www.ncm-center.co.jp/tizu/iraku-2.gif
バスラは右下。
http://www.unityflag.co.jp/doc/770/67map.html

 劣化ウランは放射能を出して人体に被害を与えるが、戦場で使う分には「敵」に対してのみ放射能をばらまくのでかまわないということで、米軍は湾岸戦争やコソボ戦争などで劣化ウラン弾を使った。

 ところが実際には「敵」の中には無数の市民がいた。クウェート国境近くのイラク領内で米軍が発射した大量の劣化ウラン弾からばらまかれた放射性物質は、砂漠の砂塵に混じって周辺の村々やバスラ市内に到達し、湾岸戦争が終わった数カ月後の1991年夏ごろから、バスラ一帯では放射能の影響と思われる白血病やガン、奇形児の出産が増加した。

 これらの患者数は湾岸戦争から12年が経過した今になっても減らず、バスラだけでなく、バスラから500キロ離れた首都バクダッドなどでも、1995年ごろから劣化ウラン弾が原因と思われる白血病やガンなどの患者が増えだした。子供や胎児に被害が大きいため、バスラとバクダッドに、白血病やガンを専門とする小児科・産婦人科病院が作られている。

(湾岸戦争に参戦した米軍など多国籍軍の兵士にも、劣化ウラン弾が原因と思われる症状が出ている。最近ではアフガニスタンで同様の被害が注目され、2001年秋のアフガン戦争で米軍が劣化ウラン弾を使った可能性が指摘されている。アフガン戦争前の2000年5月に私がアフガニスタンに行ったときは、ジャララバードでアフガン人の医者が「ソ連軍が劣化ウラン弾をつかったため、奇形児が出産される率が高くなっている」と言っていたが)

 堀越上人を中心とする私たちの旅行団は、戦争や経済制裁で苦しむイラクの人々の実状を知り「連帯」や「慰霊」をすることが団体としての目的なので、バスラに行って劣化ウラン弾の被害に関連する場所を日帰りで訪れることが、日程の中に組み入れられた。

▼飛行禁止区域を毎日飛ぶ旅客機

 バクダッドからバスラまでは、1日2便の飛行機が飛んでいる。イラクの南半分と北の3分の1の地域は「シーア派とクルド人をイラク軍の人権侵害から守るため」と称して米英が「飛行禁止区域」に指定し、イラクの軍民の飛行機やヘリコプターの飛行を禁止していると聞いていたので、バクダッドからバスラに飛行機で行けるのは意外だった。

 バクダッドからは北部の大都市モスルへも、飛行禁止区域の中を飛ぶ飛行機便がある。いずれも湾岸戦争後9年間は運休していたが、2000年から運航を再開した。アメリカが定めた飛行禁止区域は、軍用機だけでなく、民間機も対象にしている。バクダッドとバスラやモスルとの間を飛んでいる旅客機は、毎日飛んでいるのでアメリカ側は黙認しているのだろうが、建前的には、いつ米軍機に撃ち落とされるか分からない状態で飛んでいることになる。

 そんな危険な空の旅なのに、私たちが乗った飛行機は、行きも帰りも満席だった。同行した外務省のフセインによると、この路線だけでなく、バクダッド・モスル線も、大体いつも満席だという。料金はバスラまで往復で20ドルで、世界的な水準からみれば非常に安く、政策的に安価に抑えられているが、イラクの一般的な人々の収入と比べると高い値段だ。乗っている人々の多くは民間ビジネス(ブラックマーケット)を手がける比較的裕福な人であろうと思われた。

 イラクでは国内線だけでなく、国際線の定期便も飛んでいる。バクダッドからヨルダンのアンマンへヨルダン航空が飛び、シリアのダマスカスへはイラク航空が飛んでいる。このうちアンマンへは飛行禁止区域内を飛んでいる。

 バクダッドで日本外務省の方々にお会いしたが、外務省の人々はアンマンとバクダッドの間を行き来するのに、公務では飛行機を使わず、自動車で10時間ぐらいかけて移動しているという。その理由を尋ねたが、明快な答えはなく「まだ時期尚早かと思いまして」といったような曖昧な答えをいただいただけだった。

 勘ぐるに、飛行禁止区域を飛ぶので危険があると判断しているのだと思われるが、それを日本国民に広く伝えてしまうと、日本人がアンマン・バクダッド線に乗らなくなり、ヨルダン航空から苦情を言われかねないので黙っている、という構図ではないかと思われた。いぶかる私に対し、外務省の方は「ヨルダン航空は、国連の認可を取った上でバクダッド便を飛ばしていると言っています」と安全性を強調していた。

 空港のビルは、バクダッドもバスラも立派なものだったが、発着便がほとんどないのでがらがらだった。バスラはチグリス・ユーフラテス川(2つの川が合流した後の下流ではシャトルアラブ川と呼ばれる)の河口近くに位置する町だ。

 低地なので海水が川を逆流してくるときがあり、そのため土地は塩分が強く、草がほとんど生えない広大な荒れ地が、空港から町まで延々と続いていた。塩水の影響を受けない上流から運河を掘り、真水の農業用水を引いて耕地を増やす努力が続けられており、運河は「サダム運河」と名づけられている、とガイドのフセインが説明した。

【写真】バスラ近郊に延々と広がる荒地。
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▼病院のアラブ式「心のケア」

 バスラに着いて最初に訪れたのは、劣化ウラン弾の影響と思われる白血病や各種のガンに冒されている子供たちが多い「バスラ小児科産婦人科病院」だった。担当医師によると、子供の白血病やガンは、湾岸戦争前にはほとんどいなかったが、湾岸戦争終了から半年後ぐらいから増加し始め、1995年ごろにはバスラ周辺だけでなく、イラク全土で増加が顕著になった。今では毎週5人ほどが入院してくる。

 白血病の治療は、複数の薬を組み合わせて投与すると効果があるが、必要な何種類かの薬のうちのいくつかが「生物兵器の原料になりかねない」という理由で、国連から経済制裁の対象製品に指定されて満足な治療ができないという。

 輸入薬に頼らず、アラブの伝統的なハーブ系の薬草を使った治療なども試みているが、十分ではない。「アメリカは、劣化ウラン弾をばらまいて子供たちを病気にしただけでなく、薬の輸入を禁じて治療をさせないようにして、無実の子供たちを殺している。薬があれば直る子供たちが死んでいくのを見るのが、医者として一番つらい」と担当医は怒っていた。

 劣化ウラン弾の影響と思われる白血病やガンの子供たちを収容する病院はバクダッドにもあり、私たちは違う日にそこも訪問したが、そちらには頭など体のあちこちが膨れ上がったガンの末期症状の子供もいた。傍らにいる母親は目もうつろで、深く悲しんでいることがうかがえた。病室を出た後、担当医が小さな声で「あの子はあと1週間ぐらいしか持たないと思う」と言った。

 バスラの病院では、私たちはそのような患者を直接は見なかったが、この病院に何度も通った写真家の森住卓さんの写真には、バスラの病院におけるショッキングなケースがたくさん写っている。

 病院を訪れて印象的だったことの一つは、患者は一人で寝ているのではなく、母親など親族が必ず一緒にいることだった。親族は昼間だけのお見舞いに来ているのではなく、患者と一緒に夜も病院に寝泊まりしているのだという。患者を一人にして寂しい思いをさせることは治療にとってマイナスだ、という考え方から、イラクだけでなくアラブ諸国の多くの病院では、家族が誰かがいつも患者のそばにいるようにしているのだと聞いた。

【写真】バスラ小児科産婦人科病院の病室。真ん中が医師。
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 これこそ「心のケア」だと思い、私が感心していると、近くにいた担当医が「日本ではどうですか」と尋ねた。私が「ほとんどの病院では、親族は昼間しか病院にいられません」と答えると、意外そうな顔をされた。イラクの病院では、廊下のすみに座り込んでお喋りしている女性などもよく見た。最初はなんだか変だと思ったが、患者と一緒に病院に寝泊まりし、病院が第2の自宅になっている親族たちなのだと分かってからは、規則にそって整頓されている日本などの病院の方が息苦しいのではないかと思えてきた。

▼子供専用墓地

 バスラで次に訪れたのは、病院の近くにある子供専用の墓地だった。近くの病院で死亡した6歳以下の子供が埋められているという。500メートル四方ぐらいの広い空き地に、見渡す限り小さな土饅頭が点在している。それぞれの土饅頭は、上の部分が簡単にコンクリートで固められ、そこにアラビア語で死んだ子供の名前や死亡日が刻まれていた。

 全部で数百人分か、それ以上はあった。古いものは崩れてコンクリートがはがれていき、その上にまた新しい遺体が埋められるので、全部で何人埋まっているかは分からない。

【写真】延々と続く子供の墓。
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 このような子供専用の墓地は、バスラにはほかにもある。堀越上人と松崎さんは1995年にもバスラを訪れ、その際に市内の別の場所にある子供用墓地を訪れたが、そのときにはたまたま子供を埋めにきた家族がいて、掘っているうちに前に誰かが埋めた別の子供の遺体が出てきてしまい、あわてて埋め戻しているのを見たという。

 堀越さんと松崎さんが線香を焚き、太鼓を打っていると、向こうから墓守の老人がやってきた。手に持っている過去帳を見せてくれたので、そこに載っている人数を数えたところ、過去1年間に350人の子供がここに運ばれてきていることが分かった。ほぼ全員が、近くの病院で亡くなったもので、多くは劣化ウラン弾が原因と思われる白血病やガンか、経済制裁が一因の栄養失調やその他の障害による死亡だという。

【写真】やってきた墓守。過去帳を広げて持ってもらった。
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 病院で亡くなった子供の全員がここに埋められるわけではない。お金に余裕がある家は、日本などと同様、代々の一族のために墓地を用意しており、亡くなった人はみなそこに埋めるので、子供専用の墓に埋める必要はない。お金に余裕がない一族が、ここに埋めに来る。

 この墓地では、子供の遺体を洗って埋め、セメントで簡単な墓碑を作るまでの作業を5000ディナール(約300円)でやってくれる。私たちが訪れたときにちょうどセメントを盛る工事をしていたのは、1週間前の1月6日、白血病で亡くなった生後2カ月の男の子の墓だった。

【写真】新しい子供の墓を作るところを見物する子供たち。
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 この場所が空恐ろしいのは、空き地の隅の方はまだ墓地になっていないゴミ捨て場兼用の原っぱになっていて、そこではたくさんの子供たちがサッカーなどをして遊んでいることだった。子供たちが遊んでいる空き地と墓地の間には質素な木の看板が立っていて、そこには「すべての死者に冥福を。墓の上に乗るべからず」などと書かれている(とガイドが言っていた)。

【写真】木の看板を撮っていたら写りたがり屋の子供たちが集まってきた。
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 この看板は、墓の上に乗って遊ぼうとする子供たちを戒めているのだが、バスラ周辺では、今も毎日のように白血病やガンに冒されて入院する子供たちがいる。今日は土の上で元気に遊んでいる子供たちも、いつ冷たくなって土の下に埋まる状態になるかもしれない。そんな状態なのに、子供たちは明るく全力で遊んでいて、嘉納さんや私がカメラを持っていることに気づくと、どんどん寄ってきて、我も我もと撮ってもらおうとする。衝撃的という表現を超えて、なんだか不思議な光景だった。

▼戦車の墓場で戦闘の音を聞く

 

子供の墓地を後にした私たちの車は、市街地を抜けて南に走った。バスラから30キロ南に行くと、クウェートとの国境である。私たちは国境の手前にある「戦車の墓場」に向かっていた。湾岸戦争時に、米軍(多国籍軍)がイラク側の戦車など車両類を空爆して破壊した残骸が、今も残っている場所だ。

【写真】戦車の墓場。
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 バスラ市街を出ると、周囲は砂漠(荒野)になった。遠くには、高い煙突が何本か並び、炎を吹き上げているのが見える。天然ガス田だそうだ。市街を出て30分ほど走った後、幹線道路を外れて小道に入り、砂漠の中を1キロほど行くと、戦車の墓場が見えてきた。戦車やトラック、乗用車などの錆びた残骸が、荒野の中に点々と転がっている。戦車数台、自動車15台ぐらいの規模だった。

【写真】道以外の場所に立ち入ると危険だという。
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はるかにガス田から上がる黒煙が見える。

 「地雷が埋まっているかもしれないので、道の外に出ないでください」とガイドのフセインが言う。ここはイラク情報省のガイドが外国人を案内する際のコースの一つになっているらしく、幹線道路からの通り道が決められており、そこを通っている限りは安全ということだった。道ばたに地雷が埋まっている場所があった。地面にビールのアルミ缶の最上部のようなものが顔を出している。その上に乗ると爆発するのだそうだ。近くには地面に棒が突き刺してあり、そこに大きなペットボトルが逆さまに差し込んであって、それが目印になっていた。

【写真】石の真ん中の銀色の丸いのが地雷。
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 ここが湾岸戦争の前にどういう場所だったのか、ガイドのフセインも知らないという。米軍はこの地域の戦闘で劣化ウラン弾を使ったので、車両の残骸に触らない方が良いと言われた。(もっとクウェート国境に近い場所には、ここよりずっと大規模な戦車の墓場があり、そこは2時間以上滞在すると劣化ウランの放射能が人体に悪影響を残すという)

 この戦車の小墓場にいる間に、頭上で轟音が聞こえた。米軍の戦闘機の飛行音だという。空を見上げたが、雲一つない晴天なのに、飛行機の姿は見えない。かなりの高度を飛んでいるようだった。

 しばらくすると、遠くからドン、ドン、ドンという地響きを伴った連発音が聞こえた。イラク軍が対空砲を撃っている音だった。「米軍機は高く飛んでいるので届かないだろう」とフセインが言う。「届かないのに撃つのは弾の無駄じゃないですか」と聞くと「領空侵犯されているのだから、届かなくても反撃せねばならないんです」という返事だった。

▼トマト農園の衝撃

 戦車の墓場からバスラへの帰り道、ビニルハウスでトマトを作っている農家に立ち寄った。地下水を汲み上げて散水し、砂漠の中に農園ができていた。この農園に農家が3軒あり、一戸あたり年収は100万ディナール(約6万円)ほどだという。バクダッドの公務員と大差ない年収だ。ここの農家の人々は、毎日のように米軍戦闘機の轟音を聞いているという。

【写真】ガス田とトマト農園のビニールハウス。
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 米軍が使った劣化ウラン弾が作物に影響を与えることはないか尋ねると「あるかもしれない」との答えなので驚いた。「イラクで作っているあらゆる食糧に、劣化ウラン弾が影響を与えている可能性がある。しかし、われわれはそれを食べないわけにはいかない。みなさんだって、もうすでにホテルで毎朝トマトを食べているのではないですか」と言う。  確かに、ビュッフェ形式のホテルの朝食には毎朝トマトのサラダがあった。
ガイドのフセインはこのあと、私たちと食事をするたびに「これに劣化ウランが入っているかもしれないよ」などとブラックジョークを何度も飛ばしていた。冗談めかして言っているが、その裏には、劣化ウラン弾を使ったアメリカの戦争犯罪を私たちに思い起こさせるための情報省の戦略があるようにも感じられた。

【写真】トマト農園の農民。
【写真】農民一家。
写真を撮るといったら女性たちは着替えて出てきた。胸の刺繍がおしゃれ。

 私たちがその次に連れて行かれたところも、反米宣伝の訪問コース上であった。つい1カ月ほど前の2002年12月1日、米軍の戦闘機がバスラ市内の国営石油会社の本社敷地内のガレージを空爆した。その際に石油会社の周辺に住んでいた一般民家なども被弾し、12人が死亡、数十人が負傷した。負傷者の一人は4歳の子供で、お腹と手を負傷し、指が何本かなくなってしまった。その子供(アーメド君)の家を、私たちは訪れた。

【写真】米軍の空爆で左手の指先を失い、腹にも大怪我をしたアーメド君。
http://tanakanews.com/photo/iraq049.jpg
私たちより2-3週間前に別の日本人NGOの方が写したアーメド君。
http://give-peace-a-chance.jp/118/iraq/innocent%20victim.jpg
視察記の記事の全体は
http://give-peace-a-chance.jp/118/iraq.html
こちらの写真ではヤッセル君という名前で紹介されている。
http://www.unityflag.co.jp/doc/770/67yassel_p.html

 米軍は石油会社の向かい、アーメド君の家の隣には、ペプシコーラのボトリング工場があったが、ここは米軍が湾岸戦争の際に空爆して破壊したという。4階建てのアパートになっているアーメド君の自宅の屋上に上ると、破壊された石油会社のガレージやペプシの工場が見えた。石油会社の社屋そのものは無傷だった。米軍の攻撃は威嚇のためだったのか、それとも攻撃対象を誤認したのか、そのあたりは分からなかった。

▼ニュースに敏感な人々

 バスラはペルシャ湾の一番奥にある港で、昔からメソポタミアの外港として世界貿易上、重要な役割を果たしてきた。8世紀ごろのアラビアの物語である「千夜一夜物語」の中に「船乗りシンドバッドの話」がある。スリランカなどの地名も登場する半分現実、半分おとぎ話の物語だが、バクダッド在住のペルシャ系商人だったシンドバッドが7回にわたって東方へと冒険の旅に船出する出発地点がバスラである。

 その後、西欧人が東方貿易を手がけるようになると、バスラは「東方のベニス」などと呼ばれるようになった。だが今は、市内中心部を流れるシャトルアラブ川の河畔に、ベニスのような水郷の面影がわずかに残っているだけだ。

 バスラ周辺は、イランとクウェートに挟まれた地域で、イラン国境まで20キロ、クウェート国境まで30キロという近さである。1932年にイラクがイギリスの信託統治から独立する際、イギリスはクウェートを引き続き植民地(自治保護領)として残すことで、イラクの海に面した領土をなるべく狭くする戦略を採った。イラクをなるべく海に面しない国として独立させ、貿易をやりにくくすることで、イギリスはイラクの経済力を制限しようとした。

 イランとクウェートという敵国に挟まれているため、バスラの人々はイラクの中でも特にニュースに敏感だといわれている。私たちが乗った借り上げタクシーの中でも、アラビア語のラジオニュースを流していた。

 このラジオ局(1548KHz)は、アメリカのポップ音楽をDJつきで流したりしていたので、私は「なんだ。イラクにもおしゃれな放送局ができてるじゃないか」などと思いながら聞いていた。ところが、バクダッドに帰るころになってこのラジオ局の正体を知り、非常に驚いた。最近アメリカが始めたイラク向け宣伝放送(ラジオ・サワ)だったからだ。

 ラジオ・サワ(Radio Sawa)は、昔からあるアメリカの宣伝放送VOAだとプロパガンダ臭が強すぎるという米当局の判断で、VOAを改組し、洗練されたプロパガンダ放送として2002年3月からアラブ全域で放送している。「サワ」とはアラビア語で「一緒に」という意味だという。イラク向けには毎時イラクの国内ニュースを流す番組を加えた特別放送を行っている。イラク政府は警戒し、ラジオ・サワに対し妨害電波を出して聞こえないようにしているという報道を読んだことがある。

ラジオ・サワはインターネット放送として世界中で聞ける。
http://www.voanews.com/real/live/radiosawa.asx
イラク向け特別放送は
http://www.voanews.com/real/live/radiosawaiq.asx

▼宣伝放送の健全な聞き方

 放送がラジオ・サワだと教えてくれたのは、情報省のフセインだった。情報省の役人が外国人を案内するタクシーの中で、そんな敵国の宣伝放送を一日中聞いて問題ないのか。驚く私に対し、フセインはこともなげに「ニュースを30分ごとに流すので、便利だからみんな聞いていますよ」などと言う。ニュースといっても、ウソ情報を含んだアメリカの宣伝放送ではないのか。

 ますます驚く私に対し、フセインは「確かに、この放送は先日、フセイン大統領が亡命したというウソのニュースを流し、イラク社会を混乱させようとした。しかし、そんなニュースがウソだということは、イラク人にはすぐに分かる」と言う。

 聞けば、イラク人は以前からBBCやラジオ・モンテカルロ(RADIO MONTECARLO-Moyen Orient、フランス系)など西欧の放送局が流すアラビア語放送で国際ニュースをキャッチしてきたという。バスラの車内ではラジオ・サワだけでなく、クウェートのFMの英語放送(99.7MHz、英語のラジオ・サワ?)も聞いていた。バクダッドで乗ったタクシーでは、ラジオ・モンテカルロを聞いていた。それらの外国放送には、中立を装うBBCなどでも、西欧の側からのプロパガンダが入っている。人々はそれらを聞くうちに、自然とプロパガンダとそうでないものを聞き分ける耳を養ってきたらしい。

 この日のラジオ・サワのニュースでは、イラク国内にいる国連査察団の動向、パレスチナでのイスラエル軍の動向、北朝鮮の核問題など、BBCなどが流すのと同じ標準的な国際ニュースが流されていた。

 見方を変えると「ふつうのニュースの中に、ときどきウソが混じるかもしれない」と考えるイラク人のラジオ・サワに対する聞き方は、ニュースに対する接し方として、むしろ健全かもしれない。2001年秋の911事件以後、アメリカ国防総省のラムズフェルド国防長官などは「これからはウソの情報を流してテロリストを攪乱するのも戦争の一つだ」などと豪語し、ウソ情報を流すことを正当化している。

 こんな豪語が報じられているにもかかわらず、アメリカではいまだに国民の大半がマスコミのニュースをすべて真実だと思っている。日本のマスコミの多くは、アメリカのマスコミが流すニュースを翻訳してたれ流しているだけが、日本人の多くも「マスコミは真実しか報じないものだ」と軽信している。

 車内に流れるアラビア語のラジオ・サワを聞きながら、宣伝放送の罠に引っかかっているのはイラク人ではなく、アメリカ人や日本人の方かもしれない、と思った。

この記事はウェブサイトにも載せました。
http://tanakanews.com/d0204iraq.htm

●関連記事など

国際市民調査団が見たイラク
http://www.unityflag.co.jp/doc/770/0770_67a.html

境界線の記憶(豊田直巳)
http://www.ne.jp/asahi/n/toyoda/

Report From Basra: Iraq Prepares For War
http://www.alternet.org/story.html?StoryID=14475

劣化ウラン弾:イラク南部のがん発生率、10倍以上に増加
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200212/17/20021217k0000e030043004c.html

イラク 経済制裁の下で
http://news.kyodo.co.jp/kikaku/kazoku/kazoku-13.html

砂漠の放射能−湾岸戦争で大勢の子どもが癌に
http://village.infoweb.ne.jp/~shinikyo/sabakunohoushanou.html

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